まず、この本自体にすごく悪い印象を持ちました。
論理が破たんしているところがちょいちょいある。
例えば、「防犯カメラは安全防備か?」の章では、2006年3月に小学3年生がマンションから突き落とされた事件を引き合いに出している。
勘違いしてはいけないのは、防犯カメラがあったとしても、子供の命は守られなかったという思い事実である。
防犯という機能は、「防犯件数」が明らかに出来ない以上、数値では語られない。あるとすればバッドシナリオを描いて、カメラがなければこれくらいの犯罪があっただろうねぇ、というしかない。しかしそれを立証させるのは悪魔の証明であり、「ないことを証明せよ」と言っているにすぎない。防犯カメラがダメだって事を追求するのなら、逆に防犯カメラがあることで「犯罪件数が増加した」ということを立証しなくちゃいけない。自らの立証責任をほっといて、悪魔の証明だけをさせるってところが超卑怯。
「監視王国、ロンドンでも防げなかったテロ」では、さらにひどい。2005年7月7日にロンドンの地下鉄で爆破テロがありました。防犯カメラが装備されていたにも関わらず。
ところが、それでも事件は防げなかったわけである。そればかりか、イギリスの警察は、多数のイスラムの若者を逮捕したが、そのほとんどが無実、あるいは証拠不十分で起訴されなかった。
さらに7月23日、ロンドンで、テロを警戒するあまり、警察官が地下鉄車内でブラジル人男性を射殺する事件が起きてしまった。
当初警察は「不審な動きをしたため、呼び止めようとしたところ逃げた。追いかけて確保しようとしたところ、抵抗したため危険を感じて発砲した」と発表。
ところが監視カメラや多くの目撃証言から、これがウソだということがバレた。
これも監視カメラが無いほうがいいという理由にはならない。さらにテロ後の過剰反応は、防犯カメラとは関係ない。むしろカメラのおかげで、警察のウソが見破ることができている。カメラ役に立ってるジャン。
「メディアの功罪」の章では、メディアスクラムについてふれられている。被害者の匿名/実名報道に関する話題なのですが、被害者やその遺族にたいする加熱報道をどうするかという議論です。メディア側は、「そんなもんは俺らが判断する」というスタンスで、被害者側は「被害者がイヤだといったら実名報道は止めて欲しい」とのこと。結局、議論は平行線のままで、警察が判断するということに落ち着いたようです。
「メディアの取材力」では、取材拒否をした3ヵ月後くらいにマスコミに訴えてきた遺族に対し、次のようにコメントしています。
つまりは、マスコミの側にもニュースの新鮮度がいる。取材拒否の後、3ヶ月も経って言われても、ということになりかねない。
結局は事実に迫りたいのではなく、遺族が一番心理的に堪えているタイミングの画が欲しいだけなんじゃないかと勘ぐってしまう。国家権力とマスコミのどちらが真実に迫れるかという議論の中で、マスコミ視点の「被害者鮮度に対するコンテンツビジネス上の価値」を語るのは信用を大きく損なってしまう。
さらに、「メディアの取材力」は続く。
では、本当に警察が実名を伏せれば匿名報道が続くのか。
犯罪被害者が世話になるのは、何も司法機関だけではない。例えば、死亡届も埋葬許可も行政だ。市町村などの地方自治体を取材すれば、死亡者はすぐわかる。
さらに、家族が亡くなって、葬式を行わない家はないだろうし、葬儀社に頼まないところもあまりない。基本的に匿名の被害者の身元を割ろうとすれば簡単なのだ。
被害者が隠そうと、警察が隠そうと、俺達は個人情報あさっちゃうもんねぇ。ということです。マスコミがもはや誰の見方になろうとしているのか分からない。
警察の一部の人に信用ならない人がいるというのは事実でしょう。しかし「したがってマスコミの方が信用できる」というのは全く論理がつながってはいない。両方信用できるケースもあるだろうし、両方信用ならないケースもある。「犯罪を減らす」というミッションのある警察に対して、被害者の鮮度を求めるマスコミの方が、この本の中では信用ならない存在に見える。
痛々しいのは、著者の大谷氏が「ジャーナリスト代表」目線で語っているということ。「勘弁してくれぇ」と思っている他のジャーナリストも居るんじゃないでしょうか。
Recent Comments