「今こそマルクスを読み返す」読みました
読んでみました。本物の資本論を見ても日本語が分けわかんないから。
いわゆる共産主義ではなく、本当のマルクスが言いたかったことが何かということを真摯に読み返している。看板には偽りはない。
そもそもマルクスがドイツ語で書いているのに、一足飛びに共産主義国で本家よりも先に全集が出ていたりと、曲解されるポイントはいっぱいある。政治が絡むから、そこはそうなるわなと。
じゃぁ原点に戻ると、どう言っているかというと、やっぱり歯切れは悪い。経済学と言っても今みたいに、データマイニングをして仮説を検証できるわけでもないので、やぱりぱっとしない。
とはいえ、価値というものに、交換価値と利用価値の二つがあるということはすでに認めている。しかし交換価値の移動を観測手段に使うというところまではいっておらず、「価値には二種類ある」といっているのにとどまっている。さらに利用価値は「質の問題」としてあまり計測対象にはなってはいない。
そして本丸の労働価値説はどうなんだというと、やっぱり労働そのものに価値があるという考え方。ただ、ちょっとだけ経済学っぽいところは、労働力の交換のものが等価であるはず(べき?)なので、労働の価値も同じなのだという考え方らしい。とはいえ説明になってなくて、字面通り読めば労働価値説というのは、誰が何をしても労働量に応じて労働の価値が決まるというものにどうしても読めてしまうし、そう読んでいる人が大半でしょう。
ちなみに労働価値説で商品と「交換」されるのは、労働者の生活費そのもの。じゃぁ生活費はどうなんだというと、「大体生きるのには同じはず」なので、労働の価値は同じになる。「今日はぱぁーっとごちそうを食べよう」とか「便座は暖かい方がいいなぁ」というようなマインドはこの世にはあってはならないこと。
労働価値説が正しいという「前提」から演繹されるからやっぱりいろんな部分で矛盾は出てくる。例えば「流通」という生業には価値がない。労働によって生まれた商品が変わらないのに、価値が増すわけがないと。イマドキの学生なら「同じ物でも必要な人に必要なタイミングで届けることが価値を生む」ということくらいは分かっていますが、それは単なるピンハネで、価値が移動しただけで、社会的富は増えないというのがマルクスの言い分。今でも、「汗水垂らしてモノを作る」以外の生業を「虚業」と切って捨てる人も居ますが、彼らもマルクス的な労働価値説なんでしょう。
恐ろしいことに、マルクス的には投資対象である「設備」は価値を増加させない存在になっている。設備の価値はそのまま製品価格に「シフト」するだけであって、価値を増加させたのはあくまで労働であると。言い道具を高い値で調達してきて、その稼働率を上げて利益を増すということはあり得ないことになる。
この本ではマルクス擁護の立場をとっているので、「あくまで生産条件が同じ場合であるときに労働時間が価値に転換されるだけ」で「それは立場的偏見ではなく資本家の帳簿の通りだ」と言っていますがとんでもない。経営というのは、「生産条件を常に変化させること」です。帳簿が何を指しているか分からないですが、バランスシートの左側をどういじるかという割り算が経営。それがこの本では資本家は「単なる記帳作業」で価値を生むモノではないと言い切っている。
さらに人間が生きる上で必要な交換対象が同じであるはずなのに、労働の価値が違うということは「あってはならない」ので、もし違いがあるとすれば、それは「階級」というものが存在するということであて、「階級闘争」の大義名分となる。時期は違うものの、日本でまともに経済に語り始めた福沢諭吉は労働価値説なんて最初から蹴っていて、「唯学問を勤て物事をよく知る者は貴人となり富人となり,無学なる者は貧人となり下人となるなり。」と言い切っている。
マルクスが言う資本という概念に対して決定的に足りないのは「金銭の時間的価値」という要素でしょう。2億円を投資して3億円を儲けるのは、搾取だと。しかしながら、投資と回収にはタイムラグがある。投資段階でお金をもらえる人は、「今の2億をもらう」ことを選択した人たち。10年後の3億円を選んだ人たちは、今の二億と10年後の3億を交換したということ。この交換という行為が広く継続されると、そこに市場ができ、交換した価格が市場価格になり、より価値を表すのに適した観測手段になる。・・・という当たり前のことがマルクスにはない。
普通に新規事業を考えるときには、いわゆる「ビジネスモデル」を考えます。
- 顧客への提供価値
- 資源の調達方法
- 対価の回収方法
定義としてはこんなところです。1の段階で価値というものは、労働者が決めるモノではなく顧客が決めるというのが大前提です。2の段階でバランスシートの左側を組み合わせるプランを練ります。単なる「記帳作業」ではないです。3の対価の回収方法が一番面倒で、2と3の間にはタイムラグがあることが普通。じゃぁいつになったら投資が回収できるのかという話。預金をしたら元本プラスアルファが帰ってくるのが基本。投資をしたら時間的価値を上乗せして帰ってくるのが基本。
あと、この本ででてくる「労働者」ってすんごい頭悪い前提。自分では何も判断できない。機械の部品のように働くだけ。そりゃぁ価値ないよと。
労働者が奴隷扱いになっているという「前提」もやっぱり納得いかない。奴隷と違って労働者は雇用主を選べる。もちろん雇用主も労働者を選ぶ。決して高くはない採用コストを支払ってなんとかいい人を採用しようと必死。さらに労働者が経営者になるハードルもさほど大きくはない。ポケットマネーだけで会社を大きくするのって希で、直接金融であれ間接金融であれ、ビジネス拡大には外部調達は必要。マルクスはコロンブスよりもだいぶ後に生まれているはずなのに、なんでその仕組みを知らないんだろうと。ゴミみたいな投資案件だらけで、投資家は投資先が無くて苦労している。ちゃんと回収できるビジネスプランが出てきたら喜んで投資家は投資をする。
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Comments
マルクス経済学を全く理解していませんね。まず労働価値説を唱えたのはマルクスではありません。アダム・スミス、リカードーの説を徹底させたのがマルクスです。
「労働者を奴隷扱いしている」などとは噴飯物です。労働者が奴隷でもなく農奴でもない自由人であることが資本主義の前提です。
マルクス経済学を批判するのであれば、「資本論」を読んでからにしてください。「資本論」が理解できないのであれば批判する資格はありません。
Posted by: | 2009.07.05 at 12:28 PM