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科学者も歴史の法廷に立つ気はあるのか?

日経2010/01/10朝刊中外時評より。スーパーコンピューターの事業仕分けの結果について。事業仕分けではやり玉に挙がって継続は不可能に見えたのが、不透明なプロセスを経て40億減の228億円の予算になりました。

事業仕分けは、公開の場で、国民の目線で、国の事業のあり方をチェックしたことに意味があるという。それならなぜ計画が復活し、228億円になったのか。その理由の説明も欲しい。復活はノーベル賞学者が反対したからではあるまい。

科学技術予算にもムダがある。それは科学者自身がよく知っている。一つの研究室で使い切れないほどの予算が付き、あまり使われない高価な装置を買い込む。この手のエピソードはつきない。

世界一でないと意味がないといったのなら、むしろ増額を要求するなら分かる。40億減って理屈もまるで通らない。

事業仕分けへの反論で「歴史の法廷に立つ覚悟はあるのか」とすごんだ科学者がいらした。同感だ。科学技術政策は国の成長戦略の柱であり、予算の査定にはそれくらいの緊張感が居る。

同時に、厳しい言葉で反論した科学者達もまた、歴史の法廷に立つ覚悟をしていると推察する。決してムダにしない。投じた資金には責任をとる。そう願いたい。

そもそも、その「法廷」があの事業仕分けの場所な訳で、法廷に立たされているのは科学者達のCFOである、文部科学省。その文部科学省が法廷の場でしどろもどろになっていた。

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